こんな『ジゼル』は初めて!ヒューストン・バレエ『ジゼル』の多彩な魅力
ロマンティック・バレエの名作『ジゼル』は初演されて180年が経ち、幾多のバージョンが生まれました。古典作品としての『ジゼル』の演出は、細かい違いはあるものの、大きな枠組みはほぼ同じになっています。
ヒューストン・バレエで2016年に初演された芸術監督スタントン・ウェルチによる『ジゼル』は、物語や構成は古典に忠実ですが、様々な趣向、ユニークな演出が随所に盛り込まれており、新鮮な気持ちで観ることができるはずです。
2022年10月に来日公演を行って話題を呼んだヒューストン・バレエのウェルチ版『白鳥の湖』は、オデット姫が最初は乙女の姿で現れ、その人間としての姿を見たジークフリート王子が彼女に恋をする一方で、黒鳥オディールもドレスを着た姫の姿で現れて王子を幻惑するという、劇的で斬新な設定でした。今回のウェルチ版『ジゼル』も、よりドラマティックで濃密な物語になっているところに共通点があると共に、男性ダンサーが活躍する場面も増やし、躍動感たっぷりのダイナミックなダンスが盛り込まれているという点でも、『白鳥の湖』と同様、観客を楽しませてくれることでしょう。
アダンが作曲した『ジゼル』のスコアの中から、使われていなかった音楽を挿入して、物語はよりドラマティックに
ウェルチ版では、アドルフ・アダンの有名な『ジゼル』の音楽の中でも、使われていなかった曲を使うことで、物語をより立体的に、細やかに、ドラマティックに語ることを可能にしました。舞踊面においても、より多くのダンスシーンを挿入することにつながり、グランド・バレエと呼ぶべき大作に仕上がりました。
ジゼルの狂乱の場面では、途中、他のプロダクションにはない音楽が挿入され、ジゼルが一旦正気に戻ったように見える場面が追加されており、死に至るまでの状況が細やかに描かれます。終幕、ミルタやウィリ達が去った後のジゼルとアルブレヒトの別れの場面も、抒情的な音楽が追加されたことによって、二人の永遠の別れがより痛切で胸に響くような余韻を残します。
アルブレヒトの婚約者バチルドは、このプロダクションでは心優しく、狩りの場面ではジゼルにとても親切に親しみを込めて接しています。正気を失ってしまったジゼルに同情的で、慰めようとします。彼女自身も、裏切ったアルブレヒトを強く責めて怒りを見せる場面が登場するのも、他のプロダクションにはあまりない演出です。
また、後述するように、1幕に追加された結婚式の場面でも、『ジゼル』の音楽として作曲されたものの、近年の上演では使われなかった曲による踊りが追加されました。作品の厚みと物語性を高めることに貢献しています。
男性ダンサーの群舞や、結婚式の場面が追加された華やかなグランド・バレエに
通常『ジゼル』では、男性ダンサーの出番が限られていますが、ウェルチ版は、特に男性群舞が活躍できる場面を増やしています。
1幕で貴族たちの狩りの一行がやってくる場面では、貴族役の男性ダンサーたちによるダイナミックな跳躍を盛り込んだ群舞が登場します。貴族の女性たちも、ポワントで優雅ですがクラシックの技術を駆使して踊ります。貴族たちは立ち役ではなく踊る役なのです。続くぺザントのパ・ド・シスでは、男性ダンサーのソロが通常よりも長く、技巧を凝らしたものとなっています。狩りの一行が去っていく時にも、男性ダンサーたちの群舞があり、生き生きとした活力が舞台から伝わってきます。
このプロダクションのユニークなところは、収穫祭の後、村の結婚式の場面が大規模なパ・ダクシオン*(物語を語るためのダンス)として挿入されていること。花嫁と花婿が登場し、有名なジゼルのヴァリエーションは、ジゼルが二人を祝福する踊りとして踊られます。さらに、ジゼルとアルブレヒトのデュエットや、ブルノンヴィルの振付を思わせるような跳躍と細かい脚技を盛り込んだテクニカルな踊りなどが続き、華やかなグラン・パ・ド・ドゥ形式となっています。最後のコーダには、男性ダンサーたちの群舞が加わって、踊りの饗宴が繰り広げられます。
この作品では、結婚式の場面でのグラン・パ・ド・ドゥ形式の鮮やかな踊りや、男性ダンサーたちの群舞など、難しい技術を駆使できるダンサーが必要です。全米で4番目の規模で約60人の団員を擁するヒューストン・バレエでは、この作品に見事に対応できる優れたダンサーが多数揃っています。特にプリンシパルの加治屋百合子はジゼル役の演技に定評があり、2019年には米国のバレエ専門誌Pointeで、その年の傑出したパフォーマンスに選ばれました。
美しく洗練された衣裳と舞台美術
本作の衣裳を手掛けた、イタリア出身の世界的な衣裳デザイナー、ロベルタ・グイディ・ディ・バーニョは、ミラノ・スカラ座、イングリッシュ・ナショナル・バレエ、サンフランシスコ・バレエなど世界中の名だたる劇場で衣裳をデザイン。新国立劇場のオペラ『ドン・パスクワーレ』の衣裳デザインでも知られています。淡いグリーン、サーモンピンクやくすみピンク、パステルブルーなどの繊細な中間色のグラデーションを使用した衣裳は洗練されていて、農民の衣裳とは思えないほどです。貴族たちの衣裳も、白やベージュ、淡いピンクなどのシックな色遣いで、すっきりとしたシルエットのファッショナブルなものに仕上がっています。舞台装置も同じく気品のある色彩感覚が発揮されており、動く西洋絵画を見ているようで作品の世界に入り込むことができます。
ヒューストン・バレエのウェルチ版『ジゼル』は、今まで観ていた『ジゼル』とは一味違います。筆者は書籍「ジゼル―初演から現代まで」に寄稿するために、世界中の様々な『ジゼル』の映像や実演を観ましたが、ウェルチ版は、その中でも舞踊劇としての厚みや心理描写の深みがあり、技巧を凝らした踊りを盛り込んだ内容で、特に楽しめる作品です。上演時間が2時間半と少し長めで、ドラマティックで美術も踊りも美しく感動的な作品となっています。様々なバージョンの『ジゼル』を見て、その演出や物語性の違いを発見して楽しむのも、バレエの楽しみ方の一つです。『ジゼル』の新しい魅力を発見しに、ぜひ劇場に足を運んでください。
文:森菜穂美(舞踊ジャーナリスト)