劇場に出掛けて舞台を楽しむことは素晴らしい体験として心に残り、次の舞台の期待へと繋がっていきます。このコラムシリーズでは、舞台に関係する方や舞台鑑賞が好きな方たちに幅広くご登場いただいて、それぞれの視点からはじめて鑑賞した時の心躍る体験や、バレエやオペラ、オーケストラなどの舞台鑑賞にハマったきっかけとその魅力、心に残った光藍社の公演などを紹介していただきます。皆様が「舞台鑑賞って楽しそう」と感じたり、「また鑑賞を楽しみたい!」とご自身の鑑賞体験を思い出して、劇場に足を運び舞台をご覧いただくきっかけとなりましたら幸甚です。
第4回目は、ソプラノ歌手の中村初恵さんの登場です。初恵さんが愛する第二の故郷サンクトペテルブルグの風景描写を交えながら、魅惑的なオペラの世界とロシア芸術の魅力を、マリインスキー劇場での貴重な経験と共に教えてくれます。
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ソプラノ歌手の中村初恵さんに聞く「オペラの魅力、サンクト・ペテルブルクへ」
舞台芸術は人生の宝物 ~ロシアオペラへの旅~
● オペラの魅力
真白い雪が平原を覆い、白樺の木々には雪の結晶が煌めいて・・・真冬のロシアには、白銀の世界が広がっています。私の第二の故郷サンクト・ペテルブルクも、冬には海も川も、カナル(運河)も道も真っ白!その境が分からなくなるほど、街中が一面雪色に染まるのです。その光景の、美しいこと・・・。
ロシアには「雪のお姫様(雪娘)」というオペラがあります。「サンタクロース」を父に、「春の精」を母に持つ、雪で出来た女の子“スニェグーラチカ”の物語。人間の男性に恋をし、太陽の神の怒りに触れ、溶けてしまう・・・そんな悲しいお話なのですが、実はこの物語は、ロシアの大切な伝説でもあります。スニェグーラチカのお蔭で太陽の神の怒りが鎮まり、厳しい冬に覆われた大地に明るい春がもたらされた、と言われているのです。リムスキー=コルサコフ作曲のこのオペラは、ロシアではあらゆる劇場で公演される大人気の演目です。夢のようなメルヘンの中に、ロシアの伝統や風習が散りばめられ、私たちが抱く「オペラ」のイメージを覆す、ロシアらしいオペラなのです。
『オペラ』と聞いてまず思い浮かぶのは、イタリアオペラでしょう。Viva amore(愛こそすべて)!そこには愛至上主義の世界が広がっています。ロッシーニ「セビリアの理髪師」、ヴェルディ「椿姫」「アイーダ」、プッチーニ「蝶々夫人」「トスカ」など、数多くの名作名曲に「愛と悲劇、時に愛の喜劇」が描かれ、人々は自分の人生や憧れを重ね合わせながら陶酔してオペラを楽しみます。
イタリアと並ぶドイツオペラの代表作には、モーツァルト「魔笛」、ウェーバー「魔弾の射手」、ワーグナー「ニーベルングの指環」、R.シュトラウス「ばらの騎士」などがあります。機知に富んだ人物が登場し、非常に哲学的で普遍的なストーリーと音楽が繰り広げられます。
そして、ロシアオペラ。前述のリムスキー=コルサコフの代表作「金鶏」や、グリンカ「ルスランとリュドミラ」、ボロディン「イーゴリ公」、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」、チャイコフスキー「スペードの女王」、ショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、プロコフィエフ「戦争と平和」など数多くの名作大曲が並びます。どのオペラも歌手にとって難曲が多く、舞台は大スペクタクル、聞き応えも見応えも満載です。
●芸術の都、サンクト・ペテルブルクへ
私とロシアの出会いは、2003年。それは、ロシア国立マリインスキー劇場との出会いでもありました。まだ大学を卒業したばかりだった頃に突然訪れた大きな転機、それはマリインスキー劇場で行われたオーディションだったのです。世界でも名だたるオペラハウスでのオーディション?!・・・ 不安と期待で身も心もいっぱいのまま、ご推薦下さった先生を追いかけて初めてのロシアへ。降り立った真夏のロシア、サンクト・ペテルブルクは、歴史と文化、音楽と芸術に溢れた美しい古都でした。
学生時代は、イタリアオペラやフランス歌曲、ドイツ歌曲を学んでいたため、ロシアの音楽にはほとんど触れたことがありませんでしたが、ロシア歌曲との出会いはある一枚のCD。テノール歌手とピアニストの演奏による珠玉のロシア歌曲を聴いて、あまりに美しい音楽、郷愁を纏った旋律に衝撃が走りました。美しい曲であると同時に、自然への賛美、あらゆるものへの愛を感じさせる詩の数々が微笑んでいました。すっかりロシア歌曲の虜になった私は、独学で学びはじめ、幸運にも程なくしてオーディションを受ける機会を得たのです。審査をされていたのは、ナント、私とロシアを運命付けたCDで素晴らしいピアノを奏でていたピアニスト、ラリッサ・ゲルギエワ女史(指揮者ゲルギエフ氏の姉)でした。晴れて劇場に所属し、ゲルギエワ女史は私の大恩師となります。ご縁とは、本当に不思議なものですね。
劇場では、毎日のリハーサルはもちろん、曲解釈や歌に必要な言語、バレエからフェンシングまで特訓を受け、第一線で国際的に活躍する音楽家の皆さんと共演しながら、多くの貴重な経験をしました。マリインスキー劇場をはじめ、エルミタージュ美術館やサンクトペテルブルク・フィルハーモニーホールでのコンサート、キエフやフィンランドで開催されたフェスティバルなど、様々な公演やオペラに出演させていただきました。冒頭で登場した大作曲家リムスキー=コルサコフのお孫さん、今は亡きタチアナさんにもお会いしました。「音楽を通して、日本とロシアの架け橋になりたい」。こうして、未だ知られざるロシアのオペラや歌曲を日本で紹介させていただくようになりました。
● ブラボー!感動的なオペラの世界
私の声域は一番高い音を歌うコロラトゥーラソプラノです。歌い、踊り、役を演じ、歌の中ではまるでフィギュアスケートで言う3回転、4回転ジャンプの様な超絶技巧を、軽々と歌いあげる!という使命があります。役どころの心情に添って奏でられるのは、歌手たちの汗と涙の結晶。そんな歌手の声の超絶技巧を楽しめるのも、オペラ鑑賞の醍醐味なのですね。
学生時代やロシア滞在時、私は頻繁にオペラ公演に通っていました。いつ観ても思わず涙してしまうのは、イタリアオペラの代表作「椿姫」!愛に一途な主人公に訪れる悲劇… 。数奇な運命に翻弄される主人公ヴィオレッタを演じるコロラトゥーラソプラノが、愛する人を思い涙しながら奏でる美しく情熱的な歌は、魂が震えるような感覚を覚えました。純粋な恋人アルフレードは高い歌声で聴衆を魅了する男声テノール。体中から溢れ出す愛の歌に、圧倒されました。オーケストラが登場人物の特徴や心情を鮮やかに表現し、ドラマチックに彩られる舞台も素晴らしく… 観るたび感動を抑えきれず、思わず「ブラボー!」と呟いていました。
ロシアオペラで特に思い出されるのは、グリンカ「皇帝に捧げた命(イワン・スサーニン)」です。このオペラは歴史が好きな方にはたまらない魅力を持ち、ロシアでもとても人気があります。この時代には珍しく農民が愛国心に満ちた国民的英雄として描かれ、戦いの最中に人々を守ろうと自らの命を捧げるその姿に、強く心打たれました。そして、忘れられないのは、チャイコフスキーによって描かれた愛の三角関係を綴った物語「エフゲニー・オネーギン」。世界で最も上演されているロシアオペラと言えるこの作品の中には、チャイコフスキーが好んだ旋律がいくつも登場します。「この旋律は、あの交響曲のモチーフだ!」…、見つけられると嬉しくて、何度も観に行ったことを思い出します。好きな作曲家が作中に散りばめた愛する音楽を探すのも、オペラ鑑賞の一興ですね。
光藍社でも公演されているミハイロフスキー劇場(日本公演名:「レニングラード国立歌劇場オペラ」)の作品は、ロシアでもよく観劇しました。私はミハイロフスキー劇場のソリストと共演経験があり、この劇場にも深い思い入れがありますが、この劇場で観た歌劇「イオランタ」も忘れられません。後に私のレパートリーにもなったこの作品もチャイコフスキーが作曲しています。『盲目を知らされず愛されるまま育った王女が、人々の愛によって真実と自我に目覚め、光を取り戻す』という愛に溢れるストーリーで、感動の涙で顔がくしゃくしゃになりながら、何とも幸せな気持ちで帰途につきました。悲恋の物語とは一味違う優しさ溢れるオペラも、時にはお薦めです。
●私たちの心を繋ぐ舞台芸術
日本では、上演されることが少ないロシアオペラですが、プーシキンの小説を題材にした詩的なオペラ、歴史をテーマにした壮大な物語、伝説や民話をテーマにした夢溢れるオペラなど、数多くの素晴らしい作品があります。オーケストラも重厚な響きに溢れ、歌手陣も華のあるソプラノ以上に、深みのある低音のバスやバスバリトンが活躍します。芸術的なオペラの舞台には、バレエが随所に登場し、物語を華やかに彩ります。さすがバレエ大国ですね。
バレエの世界は、私にとって幼い頃からの憧れでした。日本で行われた光藍社主催のミハイロフスキー劇場バレエやキエフ・バレエの公演も度々鑑賞させていただきましたが、ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーの名作バレエ、夢見心地の「くるみ割り人形」や、儚く美しい「白鳥の湖」は大好きな演目です。また、感動的だった日本舞踊とロシアのバレエ2つの文化を融合した「信長~NOBUNAGA~」など、数々の素晴らしい舞台が鮮明に思い出されます。さらに、著名なイタリアオペラだけでなく、ロシアオペラを日本にご紹介下さっていることも、私の大きな励みとなっています。貴重な公演の機会には、皆さまもロシアオペラやロシア芸術の世界を、ぜひお楽しみ下さい。
世界中に音楽があり、人の数だけ歌があります。どれほど困難な状況にあっても、私たちの魂から音楽を切り離すことはできません。音楽は世界の共通語。どんな時代にも、私たちの心を繋いでくれます。自然や愛、歴史や哲学に溢れる芸術的な舞台。時を超えて受け継がれる、素晴らしい音楽や芸術。皆さまも舞台を通して、笑い、涙し、共に歌って、人生の宝物を見つけていただけたなら、心から幸せです。
(※文中の「サンクト・ペテルブルク」などの表記は、筆者の希望によりロシア語の発音に近い表記のままになっています。)
中村初惠 (なかむら はつえ) ソプラノ歌手、ソーシャルアーティスト
東京音楽大学声楽科卒業。卒業後すぐにオーディションに合格してロシア国立マリインスキー劇場に所属し、研鑽・出演を重ねる。ヴュルツブルク音楽院に夏期留学。国際オペラコンクール第一位ほか受賞多数。市芸術財団より”我が街の音楽家”の称号を授与。歌曲・オペラ、宗教曲やミュージカルなど多彩なレパートリーで海外公演に出演。2009年よりロシア外務省主催『ロシア文化フェスティバル in JAPAN』に参画・出演。音楽誌掲載、TV出演、映画収録、寄稿ほかロシア歌曲の詩の翻訳。音楽知育・療育士として障がいを持つ子どもの療育にも従事。
リムスキー=コルサコフ記念国際音楽協会代表・TWMミュージックスタジオ代表・ウクライナ協会会員・東京室内歌劇場会員。
■筆者HP:https://www.hatsue-music.jp (中村初恵’s Official Website)
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