バレエ団芸術監督対談 ~アメリカとウクライナで奮闘するふたりの日本人~

日本から遠く離れたアメリカ、ウクライナで活動するセントルイス・バレエとウクライナ国立バレエ。それぞれのバレエ団で芸術監督を務めているのは、二人の日本人、堀内元氏と寺田宜弘氏です。異国の地で奮闘する日本人芸術監督のお二人に、芸術監督になったきっかけや、大変だったこと、これからの展望などお話を伺いました。

―お二人はいつ頃からお知り合いだったのですか?

寺田宜弘氏(以下、寺田):いつからかは定かではありませんが、元さんは海外で活躍する日本人バレエダンサーの先駆け的な存在で、私をはじめ、当時バレエを習っていた人たちにとっては、勇気や希望を与えてくれた存在でした。1997年の「青山バレエフェスティバル」では元さんと同じ舞台に立ち、とても嬉しく思ったことを覚えています。元さんはその公演で「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」を披露され、私は「ゼンツァーノの花祭り」よりパ・ド・ドゥを踊りました。当時バランシン作品を踊れる日本の男性ダンサーはいなかったので、あのジョージ・バランシンから直接指導を受けた元さんの踊りは、とても印象に残っています。

堀内元氏(以下、堀内):私もいつから、というのは定かではないのですが、寺田さんは幼いころから脚光を浴びていて、ずっと応援していました。寺田さんの留学記録を記した『お母さん、僕は大丈夫!』も読みましたが、激動の時代のキーウでの生活は僕が暮らしていたニューヨークとは比べ物にならず、とても苦労されていたと思います。寺田さんのお母さまとも知り合いで、年賀状を送りあったり、近況を報告し合ったりなどしていました。

―お二人ともそれぞれアメリカ、ウクライナでダンサーとして活躍されたのちに、芸術監督となられました。どのような経緯で芸術監督になられたのでしょうか?

堀内:私とセントルイス・バレエとの繋がりは、ニューヨーク・シティ・バレエに所属していた1996年にゲスト出演したことが始まりでした。二年後にも再度ゲストとして呼んでいただいたのですが、ちょうどその年に、バレエ団の創設者でもある当時の芸術監督が亡くなってしまい、もともと20名ほどいた団員が7名に、付属学校の生徒もかなり減ってしまいました。そこで、私に芸術監督になって、このバレエ団を立て直してほしいと打診があり、自分のバレエ団・バレエ学校を育てるのも良いチャンスだと思い、引き受けることにしました。最初は財政的にも厳しい状況が続いてしまったのですが、バレエ学校の立地を工夫するなどして、今では400名ほどの生徒が在籍しています。また、支援者を集めるための集会を開いたり、ブランディングやマーケティングなどにも力を注ぎました。その結果、就任当時、公演は年に1度「くるみ割り人形」の上演だけでしたが、今では年間40公演を行うまでに成長させることができました。

堀内元 氏

寺田:私は11歳の時にキーウ国立バレエ学校に留学し、19歳からはウクライナ国立バレエに所属していました。ダンサーを引退した2012年から10年間、母校であるキーウ国立バレエ学校の芸術監督を務め、2022年12月からウクライナ国立バレエの芸術監督になりました。2022年2月に始まった戦争の影響でバラバラになってしまったバレエ団をひとつにして、ウクライナの芸術を発展させてほしいという劇場総裁からの依頼を受けてのことでした。11歳でウクライナに来た時は、バレエ団に入ることすら夢のようなことで、まさか自分が芸術監督になるなんて、想像もしていませんでした。
芸術監督になってから意外だったのが、スタジオにいるよりもオフィスにいる時間のほうが長い日もあるということです。国立劇場なので、大使や大臣がいらっしゃることもあり、対応や準備をしたり、新しい作品の準備や、ダンサーが相談に来たりすることもあります。

堀内:それは私も同感で、私もオフィスにいる方が長いんです。マーケティングや財源確保について考えたり、寄付してくださる方とお会いしたり。長期的なビジョンを持って、バレエ団の方向性を考えていかなくてはなりません。

―海外のバレエ団で日本人として芸術監督を務めるにあたって、海外ならではの大変さはありましたか?逆に日本人だからこそ上手くいったことなどはありますか?

堀内:私は15歳からアメリカにいるため、アメリカでの生活のほうが長くなってしまいますが、15歳まで日本で過ごしたことで身についていた「勤勉さ」「礼儀」はバレエに通じるところがあると感じています。そのため踊り以外にも、時間を守る、服装をきちんとするなどの小さなことも、ダンサーに伝え続けていました。ある時、セントルイス・バレエのダンサーが組合に加盟することになり、加盟には様々な条件があるのですが、バレエ団としては既にほとんどクリアしている状態でした。私が信じて真面目に取り組んできたことは間違っていなかったのだと、誇りに感じた出来事でした。

寺田:バレエ学校の芸術監督に就任した際は、ウクライナにとって、バレエは非常に伝統的で大切なもの、というだけあって、国立のバレエ学校の芸術監督になぜ日本人が?という声もありました。ただ、就任時に文化大臣から「バレエ学校の新しい時代を築いて欲しい」と言われたこともあり、学校を素晴らしいかたちにもっていくことができれば皆納得してくれるだろうと、前向きに取り組みました。例えば2014年のクリミア危機の影響で、バレエ学校の財源確保が難しくなった際には、ウクライナ出身のダンサーに出演を依頼して、チャリティー公演を開催し、その収益をバレエ学校の修繕に充てることを行いました。その後もコンクールを開催するなど、新しい挑戦をすることで徐々に認められるようになったと思います。

―最後に、現在挑戦されていることや、今後の展望をお聞かせください。

堀内:今年の5月31日に、セントルイス・バレエのダンサーたちを日本に引き連れて公演を行います。私たちが目指すバレエを、是非多くの日本の皆さまに紹介したいと思っています。今回は私が創作した作品である「セントルイス・ブルース」を上演します。私は作品を作る際は「観客目線」で、どうやったらお客さんに喜んでいただけるのか?という部分を第一に考えていますが、「セントルイス・ブルース」はまさにバレエ団の拠点であるセントルイスのお客様に喜んでいただきたくて、地元で生まれた楽曲に振り付けをした作品です。2024年2月にセントルイスで世界初演をした際にはお客様との一体感が感じられ、地元のお客様に受け入れていただけた感覚がありました。日本の多くのお客様にお披露目できるのを楽しみにしています。

寺田:現在は新しい振付家の作品の上演や、海外ツアーを積極的に行うことに力をいれています。来シーズンはありがたいことに日本、イタリア、フランス、アメリカへのツアーが決まっています。また、来年は今年の2月にロンドンで行われたチャリティー公演で集まった資金をもとに、フレデリック・アシュトン版「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」が新たにレパートリーになる予定で、皆とても楽しみにしています。
ウクライナは現在も戦争で厳しい状況にありますが、お客様たちはバレエを観ている間だけは辛い日々を忘れることができます。ウクライナの皆さんの希望や癒しとなるように、バレエ団も前に進み続けていきたいと思っています。

【公演情報】

堀内元 BALLET FUTURE 2024
~バレエ『セントルイス・ブルース』by セントルイス・バレエ&フレンズ〜

ニューヨーク・シティ・バレエ、ブロードウェイで華やかに活躍していた堀内元が、セントルイス・バレエの芸術監督に就任してから24年。
アメリカ中西部有数のバレエ団に押し上げ、選抜メンバーを引き連れ初凱旋!
第一部にはジョージ・バランシン作品とアメリカ気鋭の振付家ブライアン・イノスによるバレエ・コンテンポラリーをはじめとするバレエ作品を、第二部では2024年2月に現地セントルイスで初演された堀内元が演出/振付を手掛けた作品「セントルイス・ブルース」を上演。ニューヨークを拠点に活躍する作曲家、徳家“Toya”敦率いるToya & Friendsによる生演奏に加え、元宝塚歌劇団月組男役トップスター剣 幸が特別出演し、バレエとジャズ、ブルースのコラボレーション作品をお届けします。
1夜限りの特別な舞台をお見逃しなく!

「セントルイス・ブルース」

■公演日時
2024年5月31日(金)18:30開演(17:45開場)
■会場
めぐろパーシモンホール 大ホール
■ チケット価格
プレミアム席:¥10,000/S席¥9,000/A席¥7,500/B席¥6,000
※未就学児はご入場できません
■公演公式サイト
https://www.balletfuture.com/
チケットご購入はこちらから
https://www.balletfuture.com/ticket/

「InReel Time」

堀内元(ほりうちげん)

東京都出身。ユニーク・バレエ・シアターを主宰する堀内完を父とし、6歳から踊り始める。
1980年に日本人として初めてローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞、スクール・オブ・アメリカン・バレエに留学する。1982年、ジョージ・バランシンに認められ、ニューヨーク・シティ・バレエに日本人として初めて入団を許可される。その後、東洋人として初めてプリンシパルにまで昇格。バランシンの数々のレパートリーを踊る。また、ブロードウェイミュージカルにも出演、『Cats』では、ブロードウェイ、ウエストエンド、東京と3都市に出演。1998年の長野オリンピックでは、開会式の振付も手掛けるなど、その活動は多岐にわたっている。現在はアメリカ、セントルイス・バレエのエグゼクティブ・ディレクター兼芸術監督として、バレエ団および付属バレエ学校の運営にも携わっている。2010年より毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターにおいて「堀内元バレエUSA」シリーズを上演、振付作品を発表し、平成26年度(第65回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞(『堀内元バレエUSAⅤ』)。2015年からは「Ballet for the Future」を立ち上げ、東京をはじめ、大阪、金沢、新潟、札幌で上演。成功を収める。2021年、ダンサーの未来への扉を開くための「BALLET FUTURE」プロジェクトを発足。

寺田宜弘(てらだのぶひろ)

バレエ教師の両親のもと京都に生まれる。11歳で単身キーウに渡り、日本人初の旧ソ連の国費留学生としてキーウ国立バレエ学校で学ぶ。1995年ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)に入団、ソリストとして活躍。1999年セルジュ・リファール国際バレエコンクール第3位受賞。ウクライナ・アカデミー大学芸術学部教育学科で学び1999年卒業。2003年ウクライナ功労芸術家授与。2012年にキーウ国立バレエ学校芸術監督に就任して、約10年間務める。2013年京都国際観光大使に就任。2015年青少年芸術プログラムの責任者として、キーウ・グランプリ国際フェスティバルコンクールを設立。2016年にウクライナ政府よりウクライナ人民芸術家の称号を与えられる。2020年国立文化芸術アカデミーの教授就任。2021年ウクライナ国立歌劇場のバレエ副芸術監督に就任。クリエイティブ・ディレクターを経て、2022年12月にバレエ芸術監督に就任。2023年ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選出掲載された。また、2023年には「第74回NHK紅白歌合戦」ゲスト審査員を務め、2024年2月には「情熱大陸」に出演するなどメディアからの注目が高まっている。


今後の公演情報
https://www.koransha.com/contents/news/20240208/

■ ジョージア国立バレエ「くるみ割り人形」
【公演期間】2024年12月開催予定
※詳細は2024年7月発表予定

■ ウクライナ国立バレエ「ジゼル」ほか
25年1月開催予定 ※詳細は24年8月発表予定