2021年8月、クラシック・バレエの聖地ロシアを代表する劇場、ミハイロフスキー、ボリショイ、マリインスキー、モスクワ音楽劇場、ペルミから実力派ソリストが来日し、「ロシア・バレエ・ガラ2021」「親子で楽しむ夏休みバレエまつり」が開催されます。ロシア・バレエの伝統美を、カンパニーの枠を越えた夢の競演でお贈りします。
今回、ロシアで活躍しているダンサーの一人として出演が決まったのは、日本人ダンサーの直塚美穂さんです。直塚さんは、16歳でワガノワ・バレエ・アカデミーへ留学し、卒業後はロシアの名だたるカンパニーで経験を積んできました。現在は名門モスクワ音楽劇場バレエに所属し、2020年にはセカンド・ソリストに昇格するなど今後が期待される注目のダンサーです。
「ロシア・バレエが好きだから」とロシアで踊ることにこだわってきた直塚さん。これまでどのようなバレエ人生を歩んできたのでしょうか。バレエを始めたきっかけから、ロシアへ留学し、プロとして過ごす日々までお話を伺いました。
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解説などさまざまな動画を配信予定です。
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1.バレエとの出会い
――バレエを始めたきっかけを教えてください。
幼稚園にバレエ教室が入っていて始めました。
――塚本洋子先生に師事されたのは、いつからでしょうか?
小学校3年生の時に引越しをして、家の近くの支部教室に通い始めてからです。
――お教室の印象はどうでしたか?
人数が多かったし、レベルも高くて、規模の大きさにびっくりしましたね。
――先輩には、新国立劇場バレエ団の米沢唯さんがいらっしゃいますね。
はじめて発表会に出た時に踊りを観たのですが、テクニックや技術面での安定性はもちろん完璧で、さらに観ている人を引き込むような魅力があって、本当に憧れの存在でした。
――その発表会では、米沢さんは何を踊られていたのでしょうか?
「海賊」のパ・ド・ドゥを踊っていました。数年後に私も同じ「海賊」のパ・ド・ドゥを踊ることになって、先生に「唯ちゃんが着ていた青色の同じような衣裳が着たい」とお願いしたことを覚えています。
2.国内外のコンクールに挑戦し、バレエに夢中になった日々
――コンクールには出場していましたか?
スタジオの上手な人たちが出ていて、私も出てみたいと思い、小学校6年生の頃から出始めました。
――結果は順調でしたか?
もう全然だめで・・・。1年目は全滅で、すべて予選落ち。そのたびに泣きじゃくって、落ち込んでいました。でも負けず嫌いな性格なので、予選落ちしたことがすごく悔しくて。それまで以上に練習するようになりました。コンクールの映像(DVD)も何回も見て、「ここの腕が曲がっている」「ここは膝が伸びていない」などと確認をし、改善していく練習をしていました。
――塚本先生からは、どのようなアドバイスをもらっていましたか?
音楽のとり方をすごく言われていました。特に印象に残っているのは、「音楽の主なメロディー部分は上半身で踊るようにしなさい。脚は音楽の伴奏(低音)部分を聞いてやるようにしなさい。」ということです。今でも難しい踊りで上手くいかない時には、その言葉を思い出したりします。
――海外のコンクールには挑戦されましたか?
ユース・アメリカ・グランプリのニューヨーク本選にいきました。海外のダンサーは大人びていて、とても堂々として見えて、「テクニックだけではなく、表現の面もやらないといけない」と気付かされた良い経験でした。
3.ロシア・バレエとの出会い
――プロを目指すようになったきっかは?
コンクールで入賞できるようになってきて、少し自信がついてきた頃、ボリショイ劇場の来日公演でスヴェトラーナ・ザハーロワさんの「白鳥の湖」を観ました。それで「私もこういう風になりたい。ロシアのバレエ団に入りたい。」と思うようになりました。
――ロシア・バレエのどのようなところに魅力を感じましたか?
ラインのきれいさに圧倒されてしまって。それが一番の魅力でした。
――ザハーロワさんを初めて観たときの印象はいかがでしたか?
ラインのきれいさ、特に脚にびっくりしました。本当に同じ人間なのかと思うくらい。その影響で膝のストレッチをやるようになりました。当時はザハーロワさんの映像で「観たことがないものは無い!」というくらい全て観尽くしていましたね。
――その後ワガノワ・バレエ・アカデミーへ留学されますね。
ザハーロワさんの影響でロシア・バレエを学びたいと思いましたが、その頃はまだ留学の手口が少なくて、自分で調べました。栃木のオーディションが唯一ワガノワに行けるチャンスと知って、自分で応募しました。そのあとで両親に伝えて、オーディションを受けに行き、留学することになりました。
――ご両親に話すより先にご自分で申し込んだのですね。
そうです(笑)
――当時は何歳でしたか?
16歳で、高校は中退しました。その時は後先のことは何も考えずに、もう「これ!」となったら突き進むタイプでした。「私は留学する、バレエの道で行く」という感じで。ですから、高校を辞めることに抵抗はなく、すぱっと辞めました。
4.ワガノワ・バレエ・アカデミー留学時代
――そうしてワガノワ・バレエ・アカデミーでの留学生活が始まったのですね。クラスはどのように決まりましたか?
ワガノワに入ってすぐに校長先生がレッスンにいらして、一人ずつ見てクラスを振り分けられました。
――当時の校長先生はどなたでしたか?
アルティナイ・アスィムラートワさんでした。
――どの先生のクラスになりましたか?
リュドミラ・コワリョーワ先生です。
――名教師といわれるコワリョーワ先生のクラスは、どのような雰囲気だったのでしょうか?
厳しい先生で有名だったので、緊張感もありました。センターレッスンになると、スタジオの端から端まで動くアンシェヌマンが多かったですね。
――コワリョーワ先生からの指導で心に残っていることはありますか?
ワガノワに行ったばかりの頃に、「くるみ割り人形」の金平糖のパ・ド・ドゥをみてもらう機会があったのですが、上半身や首の向きなど、日本では言われなかった注意をすごく受けました。骨が折れるかと思うくらい曲げられて「違う!」とスパルタで(笑)
あとは「もっと堂々としなさい」といった雰囲気のことも言われました。背中を叩かれて、「胸を張っていなさい!」と。当時はロシア語が全然分からなかったので、なんとなくですが。
――同級生には、マリインスキー・バレエで活躍されている石井久美子さんがいらっしゃいますね。
私生活でもバレエの面でもすべて面倒をみてくれて、お姉さんのような存在です。彼女は私より1年早く留学していて、年も上だったので、頼れるお姉さんという感じです。
――クラスも同じコワリョーワ先生のクラスでしたか?
そうです。彼女は先に1年いましたが、同じクラスに入りました。
――石井さんのここがすごい!と思うところを教えてください。
観察力がすごく優れていて、私ができないことがあって教えてもらうとき、すぐに問題点を見抜いて、適切なアドバイスをくれます。
――バレエ学校で忘れられない思い出はありますか?
卒業公演で「ディアナとアクティオン」のパ・ド・ドゥを踊った時のことです。そもそも当時、基本的に留学生は卒業公演に出られなかったので、まさかそんな舞台に立てるとは思っていませんでした。それで出演できることが決まってから、すごく力を入れて練習していたら、本番前に疲労骨折してしまいました。脚が痛い状態で本番を迎えて、緊張というよりも脚がもつのかが心配でした。
踊り終わって幕に入ると、歩けなくなってしまって・・・。パートナーの男の子におんぶしてもらって寮まで帰ったことは、忘れられない思い出です。
――様々な経験をされた留学生活でしたね。日本との違いを特に感じたところはありましたか?
日本だとレッスン中は私語を慎んで、言われたことだけをやっていましたが、ロシアではもっと自分を出して良いのだと思いました。みんな個性が豊かだし、自分を主張しないと海外ではやっていけないと感じました。
――ありがとうございました。次回は、ロシアのバレエ団での経験について伺います!
文・インタビュー:光藍社 写真提供:直塚美穂
【直塚美穂】
愛知県出身。4歳よりバレエを始める。
オールジャパンバレエコンクール、こうべ全国舞踊コンクールなどで1位受賞。
2009年 ユース・アメリカ・グランプリ ニューヨーク本選 銅メダルを受賞。
2012年 ワガノワ・バレエ・アカデミーに留学。
2013年 サンクトペテルブルグ・バレエ・シアター入団。日本、フランス、オーストラリアなど海外公演に参加。
2016年 ミハイロフスキー劇場バレエにコリフェとして入団。 『海賊』ギュルナーラなどを踊る。
2018年 モスクワ音楽劇場バレエに移籍。
2020年 同劇場セカンド・ソリストに昇格。
ヨーロッパの名門バレエ団で活躍中のダンサーが出演し、夢の競演を果たします!
■「親子で楽しむ夏休みバレエまつり ヨーロッパ名門バレエ団のソリストたち」
【公演期間】2024年8月3日~8月4日
【開催地】東京
■「バレエの妖精とプリンセス ヨーロッパ名門バレエ団のソリストたち」
【公演期間】2024年7月26日~8月12日
【開催地】神奈川、群馬、愛知、大阪、宮城、秋田 ほか
▼その他の公演情報▼
■ ウクライナ国立バレエ「ジゼル」ほか
25年1月開催予定 ※詳細は24年8月発表予定
■ ジョージア国立バレエ「くるみ割り人形」
【公演期間】2024年12月開催予定
※詳細は2024年7月発表予定