フィガロの結婚 ― プラハ国立劇場オペラ ―
本公演は2013年1月13から2013年1月20日まで開催しました。
愛と笑いにあふれたモーツァルトの最高傑作!
時は1786年、『フィガロの結婚』がプラハ国立劇場で上演され、空前のヒットを巻き起こします。モーツァルトはウィーンから駆けつけビックリ、後には彼の手によって「ドン・ジョヴァンニ」が世界初演されます。この劇場はモーツァルトゆかりの劇場なのです。過去来日公演では「すばらしいアンサンブル、オーケストラも秀逸」との高い評価を得ました。これも本国チェコで日々モーツァルトを上演し、研鑽を重ねている彼らだからこそ可能なワザなのです。演奏、衣装、舞台セットどれをとっても一級品、新春の「フィガロの結婚」お見逃しなく!
※出演者、曲目、曲順は変更になる場合がございます。予めご了承ください。
※未就学児のご入場はご遠慮ください。
あらすじ
アルマヴィーヴァ伯爵邸。伯爵の召使フィガロは伯爵夫人の侍女スザンナとの幸福な結婚を目前にしてその準備を進めている。しかし2人の雇い主・アルマヴィーヴァ伯爵は、このスザンナをものにしようと昔にあった初夜権(領主が花婿より先に花嫁と一夜を共にする権利)を復活させようと企てていた。それに気づいたフィガロ、急いで結婚式をあげてしまおうとするが、ことごとく伯爵に阻止される。
フィガロは伯爵夫人あての偽の恋文を作って伯爵を嫉妬させようとしたり、小姓ケルビーノを女装させたりと、様々に伯爵の目をスザンナからそらせようとする。しかし、フィガロに夢中のマルチェリーナや、フィガロを嫌う弁護人バルトロに邪魔され、またもやうまくいかない。しかし、このフィガロ、マルチェリーナとバルトロの実の息子であることが判明。2人の協力の下、フィガロとスザンナはついに結婚式を挙げることができた。
しかしそれでも性懲りもなくスザンナを誘惑し続ける伯爵。ついに伯爵夫人はとある計画を実行することにする。スザンナに伯爵宛の恋文を書かせ、逢引の場所を指定した。何も知らずに逢引にやってきた伯爵はスザンナに甘い言葉をささやく。
ふと見ると、伯爵夫人がフィガロと逢引している・・・伯爵は怒りに我を忘れ飛び出してゆくと、伯爵夫人と見えたのがスザンナであることにびっくり。そして先ほど甘い言葉をささやいた相手がなんと自分の妻であった。伯爵夫人は、浮気な夫を懲らしめようと自分が画策したことだと明かす。伯爵は妻に許しを請い、伯爵夫人は深く反省した伯爵を温かく許して物語は大団円のコーラスで幕を閉じる。
出演予定
フィガロ:
ミロッシュ・ホラーク/フランティシェック・ザフラドニーチェク
アルマヴィーヴァ伯爵:
イジー・ブリクレル/イジー・ハーイエク
伯爵夫人:
マリエ・ファイトヴァー/イトカ・スヴォボトヴァー
スザンナ:
カテジナ・クニェジーコヴァー/ヤナ・シベラ
ケルビーノ:
スタニスラヴァ・イルクー/ミハエラ・カプストヴァー
予定プログラム
序曲<もう飛ぶまいぞ、この蝶々>、<恋とはどんなものかしら>等、珠玉のアリアが満載の全4幕 日本語字幕付き原語上演
指揮:ヤン・ハルペツキー
演出:ヨゼフ・プルーデク
舞台美術:ヤーン・ザヴァルスキー
衣装:エヴァ・ファルカショヴァー
※出演者、曲目、曲順はやむを得ない事情により一部変更になる場合がございます。予めご了承ください。
イザベル・レイ
1/14、1/19 Bunkamuraオーチャードホールにて出演!
ウィーン国立歌劇場で絶賛されたスザンナ、満を持して伯爵夫人を歌う!
バレンシア生まれ。ビルバオ国際声楽コンクールで優勝。1993年、アムステルダム・オペラ・ハウスでアーノンクール指揮の下「フィガロの結婚」スザンナを歌いメディアの注目を集める。これがその後欧州の主要なオペラ・ハウスでの歌手活動の出発点となった。
1995年にはホセ・カレーラスとニューイヤーコンサートに出演。以来カレーラスとの共演は数多い。1996年トン・コープマンの指揮で「コシ・ファン・トゥッテ」等に出演しコンセルトヘボウにデビュー。
同年、ローザンヌ・オペラ・ハウスで、アグネス・バルツァ、ホセ・カレーラスとともにスペイン曲のリサイタルを行う。1998年ウィーン国立歌劇場にデビュー、スザンナを歌い絶賛を得る。
数多くのDVDに出演しており、アーノンクールの指揮でドンナ・アンナ(ドン・ジョヴァンニ)、スザンナ(フィガロの結婚)、ミネルバ(ユリシーズの帰還)、フランツ・ウェルザー=メストの指揮でペレアス(ペレアスとメリザンド)、チェチーリア・バルトリと共演したヘンデル「セメレ」等がある。何れも高い評価を得ている。
©OUTUMURO Fidelio Artist
プラハ国立劇場
モーツァルト自身の指揮で「ドン・ジョヴァンニ」を世界初演した栄光の劇場
1783 年ノスティス・リーネク伯によって建造され、古典的バロック様式の美しさを持つ、プラハで最も有名な劇場のひとつ。「ノスティス劇場」と命名されていたが、のちにボヘミア(現在のチェコの)貴族に売却されて「スタヴォフスケー(貴族)劇場」と呼ばれるようになった。
ウェーバーが4年ほど楽長を務めたこともあるほど活動は当初より盛んであったが、第二次大戦後、共産党政府の時代を経て、1989年ビロード革命が起き、名称を変えながら劇場も市民とともにその政治体制の変換を生き抜いてきた。現在は、エステート劇場(スタヴォフスケー劇場)、チェコ語上演を行う国民劇場、そして、2011年統合された1887年創設チェコ随一のオペラ劇場プラハ国立歌劇場、コロヴラート劇場などにより構成されている劇場組織となっている。
モーツァルト自身が指揮した『フィガロの結婚』が大成功を収めたのち、1786年『ドン・ジョヴァンニ』は本劇場のために作曲されたほか、1791年『皇帝ティトゥスの慈悲』がこの劇場で初演されるなどして、モーツァルトゆかりの劇場として『モーツァルト劇場』とも称されている。M・フォアマンの映画「アマデウス」はここで撮影されている。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとプラハ国立劇場オペラと幸せな関係
1786年ウィーンで初演された『フィガロの結婚』は評判となることもなく早々に打切られてしまいます。並々ならぬ自信をもってこのオペラを世に問うたモーツァルトは失意の底に沈んでしまいます。しかし、その年末プラハ・ノスティツ劇場(現在のプラハ国立劇場オペラ)で上演され空前のヒットとなります。モーツァルトはこの噂を聞いてプラハに駆けつけると、その熱狂ぶりに驚いて、「ここではフィガロの話でもちきり、人々の口ずさむ歌も口笛も、すべてフィガロだ」との感激の手紙を残しています。プラハの熱狂はモーツァルト自身の指揮による『フィガロの結婚』で頂点に達しました。異国の地であるプラハにおいて、こんなにも自分の音楽を愛してくれる!モーツァルトはこの後プラハに捧げいくつかの作曲を残しています。
劇場の支配人は新作のオペラをモーツァルトに依頼。その秋に完成したのがこれまたオペラ史上燦然と輝く『ドン・ジョヴァンニ』。このオペラもモーツァルト自身の指揮で行われ大成功となりました。
優しい幸せの魔法でつつんでくれる『フィガロの結婚』
プラハはいまも昔も「モーツァルトの街」だ。かつて、モーツァルトの天才にいち早く注目したのが、プラハの人たちだった。現在でも街のあちこちに、その足跡が残っている。なかでもプラハの人々が最も誇りにしているのが、街の中心にあるスタヴォフスケー劇場だ。じつは1787年1月に、この劇場で、作曲者自身の指揮で「フィガロの結婚」が上演されて大成功をおさめ、街はモーツァルト・フィーバーに包まれたのだ。その熱狂は新作の委嘱に繋がり、「ドン・ジョヴァンニ」はまさにここで世界初演されている。そのスタヴォフスケー劇場こそ、今回来日する、プラハ国立劇場オペラである。モーツァルト以来の伝統と格式を護りながらも、近代的な味付けを加えることが多い劇場で、今回の「フィガロの結婚」でも、オーソドックスな解釈と簡潔な装置のなかに、ちょっとした楽しい“くすぐり”を加えている。
「フィガロの結婚」は、召使のフィガロと小間使いのスザンナが結婚するという当日、お殿様の伯爵がスザンナに言い寄っていることが発覚。フィガロは伯爵夫人たちと共謀して、お殿様を懲らしめるというお話だ。お小姓のケルビーノが歌う「恋とはどんなものかしら」、フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」、そして最後にはスザンナが歌う抒情的な珠玉のアリア「早く来て、いとしい人よ」などなど、全編が聴きどころというモーツァルトの最高傑作オペラだ。
プラハ国立劇場オペラは、大スターの競演はないけれど、入念な稽古を積み重ね、チームワークとアンサンブルの良さで人々を魅了している歌劇場。今回の「フィガロの結婚」も、きっと聴く人を優しい幸せの魔法でつつんでくれる舞台になることだろう。
石戸谷 結子[音楽評論家]